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大阪高等裁判所 平成8年(ネ)2003号 判決 1997年1月29日

控訴人

株式会社芦屋カサ・ミア

右代表者代表取締役

渡邉佳子

右訴訟代理人弁護士

家郷誠之

佐井利信

被控訴人

古賀公治

澤雄司

株式会社オプコ

右代表者代表取締役

田原潮二

右被控訴人ら訴訟代理人弁護士

辻公雄

吉川法生

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

主文と同旨

第二  事案の概要

本件は、被控訴人らが控訴人から建物を賃借していたところ、右建物が平成七年一月一七日発生した阪神大震災(以下「本件震災」という。)によって損傷し、そのままでは使用不能となったため、右建物を明け渡した被控訴人らが、控訴人に対し、控訴人の修繕義務違反により右賃貸借契約を解除したことを理由に、仮に右震災によって本件建物が滅失したものとすれば、賃借物件の滅失による賃貸借の終了を理由に、右賃貸借の際、控訴人に差し入れた保証金の返還を求めた事案である。

一  当事者間に争いがない事実等(1、3は当事者間に争いがなく、2は当事者間に争いがない事実及び弁論の全趣旨による。)

1  被控訴人らと控訴人とは、控訴人所有にかかる別紙物件目録一記載の建物(以下「本件建物」という。)のうち、同目録二ないし四の部分をそれぞれ次の約定で被控訴人らが控訴人から賃借する旨の賃貸借契約(以下「本件賃貸借契約」という。)を締結し、控訴人らは、被控訴人に対し、それぞれ左記記載のとおりの保証金を差し入れ(以下、右保証金を「本件保証金」という。)、賃借物件の引き渡しを受け、これを使用していた。

(一) 被控訴人古賀公治(以下「被控訴人古賀」という。)

(1) 契約日  昭和六〇年九月

(2) 賃料   一か月一〇万円

(3) 保証金  一五〇万円

(4) 賃借物件 別紙物件目録二記載の建物部分

(二) 被控訴人澤雄司(以下「被控訴人澤」という。)

(1) 契約日  昭和六三年四月

(2) 賃料   一か月七万五〇〇〇円

(3) 保証金  一二〇万円

(4) 賃借物件 別紙物件目録三記載の建物部分

(三) 被控訴人株式会社オプコ(以下「被控訴人オプコ」という。)

(1) 契約日  昭和六一年二月四日

(2) 賃料   一か月一七万円

(3) 保証金  二〇〇万円

(4) 賃借物件 別紙物件目録四記載の建物部分

2  本件建物は、本件震災によって損傷し、そのままでは使用不可能な状態になったため、控訴人は被控訴人らに対し、各賃借物件から退去してこれを明け渡すよう求め、被控訴人らは(被控訴人古賀及び同澤においては平成七年五月一九日までに、被控訴人株式会社オプコにおいては同年七月二五日までに)、控訴人に対し、各賃借物件を明け渡した。なお、本件建物は、その後、芦屋市の公費負担により解体撤去された。

3  本件賃貸借契約には、①本件賃貸借契約が終了して、賃借人(被控訴人ら)が賃貸室の明け渡しを完了し、かつ、右契約に基づく負担債務を完済したときは、賃貸人(控訴人)は、賃借人(被控訴人ら)に対し、差し入れられた保証金のうち二割を差し引いて残金を返戻する(以下「本件敷引条項」という。)、②天災事変その他の非常の際により、賃借室が使用できなくなったときは、本件賃貸借契約は当然消滅し、この場合において、賃貸人(控訴人)は、賃借人(被控訴人ら)に対し、差し入れられた保証金を返戻しない、ただし、類焼の場合はこの限りではない(以下「本件不返還特約」という。)旨の約定が存する。

2 争点

1  控訴人の被控訴人らに対する本件建物の修繕義務の有無について

(一) 被控訴人ら

本件建物は、本件震災によって損傷したものの、被控訴人らは、修繕によって再生可能であると考え、控訴人に対し、その申し入れをしたにもかかわらず、控訴人はその修繕をしようとしなかったので、被控訴人らは、本訴状によって、控訴人の修繕義務違反を理由に本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

(二) 控訴人の主張

本件建物は、本件震災によって全壊したもので、仮に、物理的に修繕することが可能な状態にあったとしても、大規模な工事となって、その修繕には莫大な費用を要する上、本件建物が老朽化している関係上、十分な安全を確保することは困難であるから、本件賃貸借は目的物件の滅失により終了した。

2  控訴人の被控訴人らに対する本件保証金返還義務及びその金額について

(一) 控訴人の主張

(1) 控訴人の修繕義務違反を理由とする被控訴人らの契約解除の意思表示により、本件賃貸借が終了したとしても、本件敷引条項により、控訴人は、本件保証金のうち、右二割に相当する金員については、返還義務はない。

(2) 本件震災により、本件建物は滅失したところ、本件不返還特約により、控訴人は被控訴人らに対し、本件保証金を返還すべき義務はない。

なお、本件敷引条項は、控訴人が修繕を行ったか否か、行ったとして修繕の日時、内容、金額を被控訴人らに対し具体的に説明する必要がなく、単純に敷引きして残金を返還することを、控訴人と被控訴人らとが合意したものというべきであって、右敷引の実質は、いわゆる礼金といわれているものと同様のものであり、税法上も保証金を受理した時点において、敷引の金額は所得となり、課税されているから、本件建物滅失の場合において、本件敷引条項の適用があるとしても、控訴人には、本件保証金のうち、右二割に相当する金員については、返還義務はない。

(二) 被控訴人ら

(1)① 本件敷引条項は、本件賃貸借契約の際作成された契約書(以下「本件賃貸借契約書」という。)に不動文字で記載されているものであり、控訴人が、一方的に作成した賃貸借契約書に不動文字で記載されたもので、例文に過ぎないものであって、その効力はない。

② 保証金は、本来、賃借人の債務不履行の担保のためのものであり、二割引の金員は、賃借人の退去後、一般的な消耗設備等を取り替えて、新たな賃貸借に備えるために使うことにあるところ、本件では、賃借人の責任ではない、本件震災によって、本件賃貸借契約は終了し、賃貸人において、本件建物を取り壊すのであるから、本件において、本件敷引条項は、適用されない。

(2)① 本件不返還特約は、本件契約書に不動文字で記載された単なる例文であって、その効力を有しない。すなわち、敷金は、本来、賃借人の責任による賃貸人に対する賠償金の支払の担保に供するものであるところ、地震による物件の消滅や使用不能は、賃借人の責任ではなく、賃借人には賃貸人の損害を賠償すべき責任がないにもかかわらず、賃貸借契約締結に際し、経済的弱者の賃借人としては、経済的強者の賃貸人に対し、契約書に不動文字で記載されている不返還特約の削除を要求できなかったものであって、被控訴人らは、自己に一方的に不利な契約を真意に基づいて締結したものではなく、右特約に拘束される意思はなかった。

② 本件不返還特約は、経済的弱者が強者に法律的原因なく不当な利益を与えるという範囲では無効であり、ただ、物件の使用不能に対して、賃借人に帰責事由があるときにのみに適用されるべきである。右特約では、類焼の場合には、その適用を除外しているところ、地震と類焼火事は、賃借人に責任がないことは同一であり、被害の大きさないし深刻さでは、本件震災による倒壊の方が遥かに大きく、除外規定にあたることは明らかであるから、本件において、本件不返還特約は適用されない。

第三  争点に対する判断

一  争点1について

1  証拠(乙五ないし一三、検乙一ないし四三)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 本件建物は、昭和四七年に建築された鉄筋コンクリート造陸屋根地下二階付五階建共同住宅である。

(二) 平成七年一月二六日に池田建設株式会社の設計統括部設計課長山田武夫(一級建築士)らが、主として建物外部より目視による調査をしたところ、本件震災による、本件建物の損傷状況等は次のとおりであった。

(1) 一階玄関ホール、床クラック

(2) 一階玄関ホール正面ガラス破損

(3) 二階玄関ホール上部に大きなクラックが発生し、この一部は崩壊していた。また、この壁はX型にクラックが発生していた。

(4) 玄関ホール上部の三階梁及び四階梁部に大きな斜めクラックが発生し、特に四階梁のクラックは非常に大きかった。

(5) 一階駐車場奥の壁や梁にもクラックが発生し、一部はコンクリートが破壊されていた。

(6) 道路側(西側)の二階の跳ね出しスラブの先端部に大きなクラックが水平に発生していた。

(7) 二階柱の柱頭部のコンクリートが破壊され、中の帯金が露出していた。

(8) 二階の他の柱についても柱頭から柱脚へ斜め方向に大きな構造クラックが発生していた。

(9) 道路側の一階床(駐車場となっている所)は、完全に破壊され、床が沈下していて、沈下と同時に柱自体も地盤の傾斜に沿ってずれが生じていた。

(10) その他、壁クラックは階段壁面等各所で発生していた。

(三) 右(二)の被害状況等に基づき、右山田らが考察したところは、次のとおりであった。

(1) 本件建物の敷地は、形状がほぼ二等辺三角形で、その底辺方向に向って急傾斜している。本件建物は、各住戸の壁とは四五度ずれた方向に梁を掛け渡す形態になっていて、柱梁と一体となっている壁は存在せず、いわゆる純ラーメン構造となっていた。また、本件建物の基礎は直接基礎であり、かつ独立基礎であった。

(2) 本件震災により、本来間仕切りとして考えていた壁に大きな力が作用し、かつクラックの大きい壁は斜面方向に長い壁に起こっていて、特に玄関ホール両側にその傾向が著しかった。

本件震災により、本件建物の地盤が大きく揺すられ、建物全体が斜面にそってずり下がるような動きが発生し、特に南東側(敷地の低い側)の部分はこの影響をうけやすく、建物の北西側に比べてより大きな移動を起こす結果となった。

(3) 本件建物は、東西の二棟の建物を梁で連結することによって建物全体の強度が確保されていたところ、本件震災によって、この梁に大きなクラックが発生し、既に梁としての機能を果たさず、建物にとって極めて危険な状態にあり、右の梁を補修しても、もとの強度に回復することは不可能であった。

(4) 西側の二階床スラブは、大梁からのハネ出しスラブとなっているため、地震時の上下動に対してその応力を負担できずにスラブ先端が下がったものであった。

(5) 建物が損傷を受けた大きな理由として、基礎をも含めた建物全体の移動による影響が大きいため、この防止対策(滑動防止)を行う必要があり、そのためには、建物基礎を補強する必要が生じるが、右補強は建物が存在する状況で行うことは、非常に困難であり、実質上は不可能であった。

(四) 本件建物は、本件震災による損傷のため、当初、芦屋市からは半壊と認定されていたが、後全壊と認定され、公費により解体撤去された。

控訴人は、本件建物の解体前である平成七年三月頃、近隣住民らから、余震等からくる本件建物倒壊による二次災害防止のために、早急な撤去を求められ、さらに、その頃、右住民らから罹災都市臨時示談あっせん仲裁センターにその旨の示談を申し立てられ、同年七月下旬頃、右センターにおいて、右住民らに対し、できる限り速やかに占有者の明渡を完了して、本件建物の取毀し撤去することを芦屋市に対して請求し、建物が取り除かれることに努める等を約束した。

2  右1認定を総合すれば、本件建物は本件震災によって全壊し、その修復が事実上不可能となり、滅失したものということができるから、本件賃貸借は目的物件の滅失により終了したものとういうのが相当である。

甲五(被控訴人オプコ作成の報告書)、甲六(旭大淀建設株式会社作成の調査報告書)の各記載、被控訴人古賀本人の供述中、右認定説示に反する部分は、前掲乙五、検乙一ないし四三に照らしてにわかに採用し難い(なお、甲五及び被控訴人古賀本人の供述中には、本件建物を建てた業者は約八〇〇〇万円で修繕できると述べていた旨の記載ないし供述があるが、これを裏付ける証拠はなく、右乙五に照らしても、採用することはできない。)

3  したがって、本件震災によって、本件建物は滅失したものではなく、修繕が可能であったところ、控訴人は被控訴人らの申し入れにもかかわらず修繕しなかったとして、本件建物の修繕義務違反を理由に本件賃貸借契約を解除したことを前提に、控訴人に対し、本件保証金の返還を求める被控訴人らの請求は理由がない。

二  争点2について

1  前記一認定説示のとおり、本件賃貸借契約は、本件震災によって本件建物が滅失したため、終了したというべきところ、控訴人は、本件不返還特約により、被控訴人らに対し、本件保証金を返還すべき義務がないと主張し、被控訴人らは、本件不返還特約はその効力がなく、もしくは本件においてはその適用がない旨主張する。

そこで、本件不返還特約の効力及び本件における適用の有無について判断するに、①本件賃貸借契約は、控訴人において予め用意した各賃借人に共通の賃貸借契約書(甲一、二、乙二)(なお、本件建物には一四戸の入居者があった(弁論の全趣旨)。)に基づいて締結されたものであるところ、本件不返還特約は右契約書に不動文字で印刷されたものであり、一般的に賃貸人に比して経済的に弱い立場にある賃借人としては、自己に不利な条項が記載されていたとしても、賃貸人に対し、これを訂正ないし削除することを求めることは容易でないといえること(控訴人は、本件において、被控訴人らは控訴人に比して弱い立場にあったものでない旨縷々主張するが、本件賃貸借契約締結時において、控訴人と被控訴人らとの間で、控訴人が主張するような立場にあったこと及びこれを控訴人及び被控訴人ら双方が認識していたことについてはこれを認めるに足りる的確な証拠はない。また、控訴人は、賃借人の要求によって保証金の支払を免除し、賃貸借契約書から本件不返還特約を削除したことがあったこと(乙二)からして、被控訴人らが本件不返還条項に合意できないのであれば、その抹消を求め、これが受け入れられなければ、控訴人との間の賃貸借契約締結を拒絶する自由を有していた旨主張する。しかしながら、右乙二は、平成元年六月に全入居者が退室した後、約四年半空室となっていた本件建物の一室に平成六年一月に入居した者との間の賃貸借契約の契約書であり(乙二、三、弁論の全趣旨)、本件賃貸借契約当時において、被控訴人らが、控訴人との間で、右乙二記載の契約が締結された時と同じ条件にあったことについてはこれを認めるに足りる証拠はないから、控訴人の右主張は採用できない。)、②保証金は、賃借人の賃貸借上の債務の履行を担保するものであり、担保されるべき賃借人の債務の範囲は、延滞賃料、賃貸借終了後目的物返還までの賃料相当額の損害賠償債務、賃借人の保管義務違反による損害賠償等賃貸借関係から生ずるすべての債務に及ぶものであるものの、右以外に賃貸人の被った損害を填補するものではないこと、③本件保証金は、被控訴人ら各自につき、毎月の賃料の約一二倍弱から一六倍に達する多額のものであること、④本件震災により本件建物が滅失したことによって、控訴人の被った損害については、被控訴人らにはこれを賠償すべき責任がないということができるところ、本件不返還条項により、被控訴人らに対し、本件保証金の返還を認めないことは、実質的には、被控訴人らの損失において、控訴人の損害の填補を図ることになり、本件震災により、貸借物件が滅失したことにより損害を受けた被控訴人らに対し、過酷な結果を強いることとなること(控訴人は、本件建物の滅失により、控訴人は多額の損害(控訴人の帳簿上においても七ないし八〇〇〇万円)を被り、損害保険も火災保険の場合と異なり、地震の場合には保険金の限度額は一〇〇〇万円であるのに対し被控訴人らは家財道具を失ったものではなく、損害は殆ど発生していない旨主張する。しかしながら、被控訴人古賀本人及び弁論の全趣旨によれば、本件震災による賃借物件の滅失により被控訴人らはそれぞれ相当の損害を被ったことが窺われる上、地震の場合の損害保険につき、控訴人主張にかかる保険金の限度があるとしても、それは右保険制度の問題であって、被控訴人らに帰責事由がない本件震災により控訴人の被った損害の填補を被控訴人らの損失において図ることの不当性についての右説示を左右するものということはできない。)、以上に照らせば、本件不返還特約については、その合理的解釈として、少なくとも、被控訴人らに帰責事由のない本件震災においては、その適用がないと解するのが相当である。

なお、控訴人は、本件敷引条項との関係で、前記第二の二2(一)(2)後段のとおりの主張をするところ、本件賃貸借契約において、本件建物が滅失して右賃貸借契約が消滅した場合における本件保証金の返戻等についての約定として本件不返還特約がなされたこと、本件敷引条項の内容等は、前記第二の一3①のとおりであって、右敷引条項の文言、趣旨、本件不返還特約との関係等に照らせば、本件賃貸借契約において、本件敷引条項は、本件建物が存続し、被控訴人らが賃借物件を明渡した後、賃貸人である控訴人において、右賃借物件を引続き使用収益できる場合に適用されるのであり、本件建物が滅失したことにより、本件賃貸借契約が終了したような場合には、その適用がないというのが相当であるから、本件敷引条項の存在を前提として、本件保証金中、その二割に相当する金員の返還義務がないとする控訴人の右主張は採用できない。

2  そうすると、本件震災によって本件建物が滅失したため、本件賃貸借契約が終了し、被控訴人らが賃借物件を明け渡したことに伴い、控訴人は被控訴人らに対し本件保証金を返還すべき義務があるから、控訴人に対し各保証金とこれに対する各賃借物件明渡後である被控訴人古賀及び同澤においては平成七年五月二〇日から、被控訴人株式会社オプコにおいては同年七月二六日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める被控訴人らの請求は理由がある。

第四  結論

以上のとおり、本件賃貸借契約が終了したことにより、控訴人に対し、本件保証金の返還を求める被控訴人らの請求は理由があるから、これを認容すべきである。

よって、被控訴人らの請求を認容した原判決は結論において相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官田畑豊 裁判官神吉正則 裁判官奥田哲也)

別紙〈省略〉

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